2012年11月9日金曜日

浅川 麻里先生 送別会:11月08日(木)

昨日、大きな飲み会がありました。
       (一次会 SALLY's Kitchen Maga ⇒ 二次会 Field ⇒  三次会 えばら

総合内科/救急で当院をサポートしてくれていた、
研修医の母(?:年齢的には明らかにお姉さんですが、母のような大きな心・・・という意味) とも呼ばれていた
浅川 麻里先生 (旧姓 川城) の送別会がありました。
     (2009年04月から当院に勤務 ⇒ 2012年04月から非常勤 ⇒ 11月末で退職)
ブログ掲載 OK の方の 笑顔の写真!

参加人数も、研修医・看護師さんに加えて、複数部署からのたくさんの方が参加されていました
                                                                      (役職の一部に がつく人がなんと13人)。
浅川先生と同期入職の 『 戦友 (?) 』 の先生からの message もたくさんありました!

マリリン という愛称(?)にちなんだ研修医からの芸もあったり、
色紙+救急室一同からの記念品+お花 の贈呈もありました:
総合内科からは 足立音衛門 の『 栗のテリーヌ (ランクはヒ・ミ・ツ!) (の目録)Present しました。

年度途中の色紙ではありましたが、昨年度で当院を去った研修医や専攻医に
                                        3月末に書いておいてもらった色紙も一緒にお渡しできました。

浅川先生の当院への貢献は みなが認めるところだと思います。

個人的には 本当に多くの感謝があるのですが、あんまりここで書くのも・・・です。

ただ、
今の総合内科/内科救急 がうまく運営できているのは浅川先生がおられてこそ、だと思います。
ほかに
 ※ 家庭医療専門医が急性期病院で働くというモデルとして
 ※ 家庭医療・救急医療・病院総合医 の サイクルを経験したモデルとして
 ※ 初診外来・救急外来を担当する非常勤医=ワークライフバランス のモデルとして の
                                    一面も持たれていたと思います。

実は市立堺病院のときも同じで、当時まだ研修指定病院としては知られていなかった
 病院の歴史を創ってくれた世代の1人は、浅川先生でした(研修医1年目のときに川島が指導医)。

ちなみに浅川先生が来られたときに市立堺病院の研修医は、
全国公募で 6人募集 ⇒ 10人が応募 ⇒ 8人が受験 ⇒ 6人に合格通知3人が入職
                                            という状況でした。
それが翌年のマッチング元年には、8名の定員に対して60数名の応募!
                 以降も60~80名の研修医が応募してくる病院になりました。
最初の大変さは表現しがたいと思いますし、
 2009年から増えはじめた 当院 初期研修医の大変さ を受け止めてくれていたのだと思います!

市立堺病院の踏み台・・・いや、礎を築いてくれた、
 市立福知山市民病院 総合内科 / 救急の発展のPowerの源であった、
             多くの若手医師やスタッフから尊敬・憧れの対象であった
                        ホント the Legend のような存在でした!
本当にありがとうございました! 充実した 幸せな 生活を送って下さい!

さて1日明けた、9日(金)の医局・・・
皆さん、悲しみのあまり 机に伏せていたり・・・(決して2日酔いではありません)。

ここで、ちょっとした News!
前回と今回のブログとあわせて、お店の名前を複数出してみました(気づいた人はいますか?)
このお店の多くは、なんと!
るるぶ福知山 に掲載されています = るるぶ福知山 が遂に発行されました! 
実際の冊子ではなく、特別掲載号として無料配布されているものですので、お早めに。

ちなみに 川島は 鳥名子 で頂きました!!
この2つのブログのなかで、幾つのお店が見つかるでしょうか?:正解は・・・ どうでもいいですね

【過去の送別会】
http://fukugim.blogspot.jp/2011/03/blog-post_25.html:2010年度
http://fukugim.blogspot.jp/2012/03/321-26.html:2011年度

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